日本的演奏による白夜 (ロシアの新聞『独立時評』、03年7月24日号)

アナスタシヤ・スクレプツォワ

日本の監督、西周成が6月21日にアルハンゲリスクのグループ、Moon Far Away に関する映画『Ritual of White Night』を完成させた。これは、監督がアルハンゲリスクのミュージシャン達の創作を提示する二本目の映画である。日本人は数秘学にとても神経を使うので、『Ritual of White Night』の撮影は2002年6月21日に始まり、365日後に完成したのである。

―周成、Moon Far Away の創作をどうやって知ったのですか? 彼らの音楽に惹かれた理由は?

―ある時、私は"Russian Gothic Project"のサイトに出くわし、そこにサブ・カルチャー、即ちカモフラージュされスタイル化された、高度に芸術的な文化を見出しました。あるアメリカのディストリビューターから"Edge of the Night"というCD―非常に興味深いロシアン・ゴシックのコンピレーション―を購入しました。私の直観、或いは運命がすぐに、この傾向の作品をもっと聴かなければならないと決めました。特に、Moon Far Awayの作品をです。その歌が私に強い印象を残したからです。悲劇的な感覚と、明らかに中世キリスト教文化を想起させる要素が、シャーマン的な演奏スタイルに結合していました。これは明らかに、芸術が現在いかにして人々に永遠的な真実を伝えることが出来るのかということに対する深い思索の印です。これは、真摯な芸術家の精神と出合ったサブカルチャーの戦略の、いい例です。もちろん、当時私はこれほど正確に自分の感覚を分析しませんでした。ただ自分の直観に従っただけです。後で私は、自分の直観を確かめるために彼らのアルバム全て、"SATOR"と"Lado World"を聴きました。

―アルハンゲリスクでは二本の映画の撮影をどんな風に行ったのですか?

―最初の映画『KISMET』は私にとって一種の実験でした。何故なら、全くシナリオが無かったからです。VGIK(全ロシア国立映画大学)で短いドキュメンタリー映画を撮った時でさえ、そのためにシナリオは書きました。しかし、このような「シナリオなしの」アプローチは、映画のイデー自体から来たものです―音楽に関するドキュメンタリー映画を、フリー・インプロヴィゼーションの原則に基づいて撮ること、しかもあらゆる芸術家に作用している摂理の力を念頭に置きながら、ということです。こうして私は、アルハンゲリスクに、特別な知識もなしにやって来ました。街自体と、北部ロシアの自然から受けた印象はとても強いものでしたが、それは私が北部に一度も来たことがなく、それについてほとんど何も知らなかったからです。この「知り合う」という要素が、物語がアルハンゲリスクへの旅へと展開してゆく時、映画にときめくような調子を与えたのです。

 Moon Far Awayに関する二本目の映画は、全く別の実験でした。『Ritual of White Night』の主要な素材は、『KISMET』の制作時に撮影されており、ここでの課題は、映画のイデー、―つまり正確、簡潔にMFAの創造の本質と独自性を示すこと―に沿ってヴィデオと写真の素材を選択し、モンタージュすることでした。

―あなたのMoon Far Awayについての印象は、個人的に知り合うことによって変わりましたか?

―本質的には、私の印象もこのグループへの理解も、変わっていません。単に、それらは人生経験として、豊かに深くなっただけです。

―映画は二つの対等な構成要素―ヴィデオと音楽―を暗示しています。スクリーン上でそれらはどの程度、調和的に共存しているのでしょう?

―『KISMET』でも『Ritual of White Night』でも、私は音と映像の並行的展開のために様々な手法を使いました。結果的に、スクリーン上のイメージに、特別な意味の豊かさがもたらされました。私には、それによって観客が芸術的情報を得ることを妨げられはしないと思われます。ある瞬間には音楽が退き、ある時には映像が、また別の場合にはそれらが同等な権利で作用します。音楽と映像は対立しません。それらは、ポリフォニー音楽における様々な旋律のように互いに補い合っているのです。

―あなたの音楽的嗜好は?

―以前はクラシックが好きでした、特にドイツの。でも、ある時、私はほとんどあらゆるジャンルや国の現代の音楽を聴き始めました。その後、私が「好きだ」と言えるような作曲家や音楽家の数は少なくなりました。私は一般的に言って、背後に霊感や信仰が感じられるような音楽が好きです。これらのカテゴリーは、作曲家の才能よりも重要です。スタイルや時代や作者の名前は、音楽への愛にとって本質的なものではありません。美学的な観点から言うなら、私の好みは、イメージが明らかで、正確なフォルムを持ち、超絶技巧を誇らないような音楽ですね。

―あなたの映画の将来の運命は? 映画祭やプロフェッショナルなコンクールに参加しますか?

―これらの映画が今日の映画祭でどのように受け入れられるのか、誰にも分かりませんし、民族的な作家映画への要求のことも分かりません。しかも、サブカルチャー的な芸術に向かう私の方向性は、ポストモダニズム的な環境においてはどうやら時代錯誤的です。サブカルチャー的な環境ならば、これらの映画を偏見なしに受け入れるかも知れません。現在、インディペンデントな作家映画にとっての希望は、芸術的創造の新たな時代におけるサブカルチャーの巨大な意義を認めるような映画祭や観客の中にしかありません。


("Независимое Обозрение Архангельск", 24  июля 2003)

東京、白夜 (アルハンゲリスクの情報サイト、「北方ロシア」03年7月27日付記事)

7月20日東京で、アルハンゲリスクのゴシック・グループ、Moon Far Away が主演した映画『Ritual of White Night』が初公開された。(・・・)

―まず、あなたの人物について伺いましょう。アルハンゲリスクの街の人で、あなたやあなたの創作について知る人は少ないと思います。経歴や創作上の志向について少しお話し下さい。

―私は本州の中心、日本海の近くに位置する小松という小さな都市に生まれました。教師をしていた父の影響下で古典音楽や絵画がとても好きでしたが、後に西欧や日本の古典文学にも惹かれました。しかし、私が映画の領域でやっていることは、必ずしも偉大な古典を志向してわけではありません。私にとってそれより遥かに重要なのは、現代の文化とのつながりを保ちながら、しかも自分の立場、永遠なる諸価値への志向性を失わないことです。この点で、いわゆるサブカルチャーの戦略は示唆的です。

 私が若かった頃は、ちょうど現代日本のサブカルチャーの全盛期に当たっており、それは例えば、ロボットTVアニメシリーズのようなジャンルによってカモフラージュされていました。そうしたシリーズの幾つかにおいては、ドラマツルギーが非常に高度で、根源的な悲劇性を持っていました。しかし現在に至るまでそれらを正しく評価する人は少ないのです。ドラマツルギーの観点から見てそれらは、例えば『スターウォーズ』シリーズなどより遥かに複雑でした。同じことが、80年代の最良の日本映画についても言えます。黒澤の『影武者』や『乱』をご存知でしょう。でも、それらは決して例外ではなく、もっと「サブカルチャー的な」例もあるのです。

 日本人のメンタリティーは、新しい芸術的な達成を分析せず、ただその形式を美的な満足や商売のために模倣するだけになる傾向を持っています。私は、この日本的なメンタリティーの弱点を克服するため、芸術やサブカルチャーの諸現象を冷静、知的に分析しようとしました。こうして私は映画研究者になりました。映画と高度なドラマツルギーへの愛からです。

 私の研究対象になったのは現代ロシアの映画、特にソ連時代に禁止されていた映画(「地下出版」的なもので、それはサブカルチャーと多くの共通点を持っています)、それにペレストロイカ時代の映画です。私はそれについて多くの文献を読み多くの映画を見ましたが、私の芸術に対する態度は次第に変わっていきました。特に、初めは研究のため入った全ロシア国立映画大学で自分も映画を作り始めてからです。現在、私は芸術を単に美学的な現象、所与のものとして分析するのではなく、創造的なアプローチに向かっています。つまり、芸術を人間の精神的成長のための手段と見なしてます。

―あなたの人生の信条や立場を、どのように決めたのですか?

―芸術的創造は特別な宗教であり、それは作者から、彼自身よりも遥かに高い何かを作品の中で具体化するために全ての生命力を要求します。犠牲的精神が必要なのです。そして、芸術作品が持っている真の内容を受け取ろうとする人にも、やはり犠牲的精神が、つまり、世界に対する実用主義的、俗物的、利己的な態度を捨てることが必要とされます。芸術作品の存在自体が、このようにして、共に精神的な上昇のために人々を結びつけるのです。この事実一つによっても、芸術的創造は、あれこれの個人的な才能の恣意的な利用ではなく、むしろ使命であることが分かります。前者は似非芸術か或いは単なる娯楽の製造に過ぎません。

 物語芸術や劇芸術、とりわけ映画芸術は、人間がいかに高貴で、優しく、犠牲的になり得るか、そして正しい方向性を持った人間の創造行為がいかに美しいかを示すための、巨大な可能性を持っています。自分の映画で私は、人間がそうあるべき、また我々自身も時々それを目指そうとするような、そういうイメージの創造に出来るだけ近づこうとしています。ドキュメンタリー映画でも劇映画でも、課題は同じだと思います。

(・・・)

―あなたはこのグループのために"DEZEMBER DER ZEITEN"によるクリップも作ったそうですね?

―クリップは、私の音楽に関する映画の中にはいつもありました。それをドキュメンタリー映画の中に入れることは私のアイディアです。しかし、個々の音楽作品のイデーやイメージを確かめるために、私はいつもその作者に相談します。これは、映画の中でクリップが有機的に見え、なおかつ一定の統一性を持つために不可欠なのです。これらの映画の中には、普通の意味におけるクリップはありません。個々の音楽的エピソードは二つの異なった役割を果たしています。第一は、記録素材を全く別の次元のイメージに変えることです。様々な状況下で(リハーサル、録音、コンサートなど)撮影されたヴィデオ素材が、突然、記録であることを止めてその音楽の作者達によって生きられた精神的な物語を明るみに出すのです。第二の役割は、個々の音楽作品の背後にある世界感覚や感情の視覚化です。『Ritual of White Night』では、私はスタイル上の均衡を少し破って、クリップ的エピソードにもっと自律性を与えました。

("Русский Север", 27 июля 2003)